■総持寺(大本山)・・・横浜市鶴見区
「鶴見の総持寺」として有名です。
JR鶴見駅から歩いて、10分という都心の近くの丘陵に位置しています。総持寺は雲水の道場としてのみでなく、一般の人、学生、一般参禅者、参拝も多いのが特色です。
太祖瑩山禅師は54才の頃、能登の諸嶽寺を禅師の総持寺として開山しました。山号を諸嶽山と名づけ、伽藍を整備、4年後、法席を峨山禅師に譲り、もとの永光寺に帰山しました。
その後、総持寺を継いだ峨山禅師は91才まで総持寺の基礎を築きました。そして、門下伝法25人の中の5人によって本山寺中に、普蔵、妙高、洞川、伝法、如意の五院を創め、のちの本山の輪番住持制の基礎を築いたといわれています。
本山は、1615年(江戸時代)徳川幕府によって永平寺と同様な法度が定められ、前田藩の外護を受けました。
1898年(明治31年)火災によって焼失しましたが、その後、時代の流れと未派檀信徒等の要望により、現在の地、鶴見へ移されました。能登の旧跡は別院となり、1911年(明治44年)11月落度入仏の式典を挙行したといわれています。
その後、諸禅師によって興隆し、諸堂が整備され、1929年(昭和4年)の春、宗派を挙げて大伽藍が完成しました。
鶴見に移って約百年、総持寺は現在も多くの末寺、信者に支えられています。
なお、永平寺と共に大僧堂は、全国の曹洞宗の僧侶雲水の修行の根本道場とし、基本的に一般の方の出入りは許されておりません。
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